群馬県の墓石、墓所、墓地開発のことなら富士墓石本舗 寺院関係の方
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群馬県の墓石、墓所、墓地開発のことなら富士墓石本舗 寺院関係の方

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歴代住職墓所への石段  【弊社設計施工による】
総延長通路含む 25.8m  最大斜度30.82度
施工場所 山間部の古刹、倉渕町三ノ倉にある全透院内西墓地にあり。
総延長通路含む 25.8m  最大斜度30.82度 一体型鉄筋コンクリート石段下寺現場施工 表面は白御影石仕上げ 特筆すべきは石段取り付けを最上段よりはじめ下段方向にさがってきたものである。(一見普通の御影石段ですが見隠れ部分はRC造下地がすべて連結されています)
 
 


唐金製 四天王(東方持国天 南方増長天 西方広目天 北方多聞天)像高さ3メートル完成 
群馬県高崎市 曹洞宗大森院の涅槃廟屋上に鎮座まします。  
涅槃廟の屋上に四天王像の計画のお話を頂く、まず第一に考えたのは奈良の東大寺戒壇院にある国宝、天平彫刻の最高峰とされる四天王像を参考に部分的は変化を持たせた四天王をイメージし、本年一月元旦に詣でてこの彫刻のすばらしさに時のたつのも忘れ見とれていた。この四天王実物は等身大だがこれを総高3メートルのレプリカをプロデュースし、RC造の屋上に設置すればすばらしいものになるだろうと、しかし、このような迫力のある像が出来るだろうか? しかも重量的に考えれば材質は当然「唐金」となり、まずは唐金についての勉強より始まる。次はどこでこれほど精巧なものの出来る技能者がいるか心当たりの工場の情報を集める。数ヶ月と費やし唐金の佛像製作可能な工場にたどり着く、工場主や技能者に国宝の写真を見せて詳細な注意を与え粘土像の製作にはいり、まず、その腕のよさにビックリ、まさに今にも歩き出しそうな、できばえであった。その後、数回の状況確認をし型を作成、銅合金を流し込み、その後型から抜くとまるで10円硬貨の新品みたいな色で仕上げは精巧そのもの満足のいくものであった。
 
 


おびんずるさま 
俗に「なでぼとけ」とも言われ、昔から自分の身体のわるいところと、おびんずるさまの同じところを交互に撫でると、よくなるといわれてます。
本堂の外陣(げじん)、前縁などに赤いお顔をして静かにお座りになっているのがおびんずるさまです。
おびんずるさまは、お釈迦さまのお弟子の一人で、神通力にすぐれていたそうです。しかし、みだりに世間の人に神通力を用いたため、お釈迦さまの呵責(かしゃく)を受けて涅槃(ねはん)を許されず、お釈迦さまの滅後も衆生を救い続けるとされています。
 
 


人天蓋 お釈迦さま像(極彩色)等身大
大森院葬儀場に安置のお釈迦さま 
天井より吊り下げられてある人天蓋
@葬儀場に設置されたお釈迦様像 人天蓋 A吊るされた人天蓋 B彩色されたお釈迦さま像(等身大)  C木魚1.5尺  D鏧子1.8尺 Eお釈迦様像彩色前
 
 


弁天さま 高崎市上小塙町 烏子神社弁天池
各種文献や画を精査して日本で一番の美女弁天 
(等身大) 芸事の向上の願掛けには特別の効果があるそうです。
日本での弁才天信仰はすでに奈良時代に始まっており、東大寺法華堂(三月堂)安置の8臂の立像(塑像)は、破損甚大ながら、日本最古の尊像として貴重である。その後、平安時代には弁才天の作例はほとんど知られず、鎌倉時代の作例もごく少数である。

京都・白雲神社の弁才天像(2臂の坐像)は、胎蔵曼荼羅に見えるのと同じく菩薩形で、琵琶を演奏する形の珍しい像である。この像は琵琶の名手として知られた太政大臣藤原師長が信仰していた像と言われ、様式的にも鎌倉時代初期のもので、日本における2臂弁才天の最古例と見なされている。同時代の作例としては他に大阪府河南町・高貴寺像(2臂坐像)や、文永3年(1266年)の銘がある鎌倉・鶴岡八幡宮像(2臂坐像)が知られる。近世以降の作例は、8臂の坐像、2臂の琵琶弾奏像ともに多く見られる。

中世以降、弁才天信仰は神道と日本土着の水神である市杵島姫命(もしくは宗像三女神)や宇賀神(出自不明。日本の神とも外来の神とも。)と習合して、神社の祭神として祀られることが多くなった。近世、いわゆる「七福神」の1つとして祀られる弁才天像は、農業神・穀物神である宇賀神と習合して、頭上に宇賀神像(人頭蛇身の老人像)をいただく形の像が多く見られる。また、元来、インドの河神であることから、日本でも水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多い。「日本三大弁才天」と称される奈良県天川村・天河大弁財天社、滋賀県竹生島・宝厳寺、広島県宮島・大願寺はいずれも海や湖や川などの水に関係している。 しかし、いずれの社寺を「日本三大弁才天」と見なすかについては異説もあり、その他には神奈川県江の島(今は宗像三女神を祭っている)などがある。
 
 


木佛像 僧形文殊菩薩坐像
文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、梵名マンジュシュリー (मञ्जुश्री [maJjuzrii])は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。
文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙吉祥、妙徳、妙首などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯スイレンの花)、利剣、梵篋(ヤシの葉に書かれた経典)など。種子(種字)はマン(maM)。
文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる
オン・アラハシャノウ
 
 


冨岡市上高尾の長学寺十三層塔
四方にはおしゃかさまの四大聖地のお砂が納められ参拝ができます。
塔下にはお檀家の皆様がお書きになられた一字一石経、諸願文が納められています。
又、塔下には地震を意識した大きな基礎、充分な定着を見た太い鉄筋の心棒、製作段階で基壇石よりφ50mmの貫通穴を九輪まで通してあり若干の地震の揺れに抵抗するよう配慮施工されています。
@完成時、四方に四大整地、右前に般若心経1回1唱塔 A根伐り、栗石地形B鉄筋加工取り付け C型枠取り付け時
D周囲敷石基礎 E周囲敷石基礎 Fお檀家の皆様が書かれた石経、願文
G基壇の貫通穴に鉄筋を通しています。H鉄筋貫通
 
 


大森院 涅槃廟 
晩年のお釈迦さまは八十歳となられたにもかかわらず衆生救済のため説教遊化の旅の途中、インドのクシナガラ、バツダイ河のほとり付近でしだいに自分の肉体の衰えを感じられるようになられ、この時期に舎利佛、目連という愛弟子も相次いでこの世を去られて無常感をお感じになられていました、いよいよ生きる意欲の減退を自覚されたお釈迦さまは入滅の決意を固められ、二月十五日を決行日と決められ、その日に備えてバツダイ河の沙羅双樹の根元に頭北面西,右脇を下に横になられ右手を手枕に足と足とを重ねられました。
このとき、お釈迦さまの入滅の近いことを知ったお釈迦さまのお弟子たち、在家の信者、目には見えない諸天諸神、鳥や獣、頭上の沙羅双樹までも一切有情の悲しみのため半ば枯葉し、この地上のすべてのものが悲しんでお釈迦さまの周囲を埋め尽くしたといわれます。やがて、お釈迦さまは最後のお言葉を発すると、禅定「瞑想」に入りそのままお眠りになるが如く入滅なされました。
お釈迦さまは入滅なされる直前に、お釈迦さまの死後のことを不安に思う皆に対して最後の説法として「自分自身を頼りとしなさい。そして、私を頼りにしないで私の説いた法を頼りとしなさい」とお話しになられました、これが「自燈明 法燈明」という教えです。また、「この世は全て無常である。比丘よ、そなたたちは怠ることなく努力するように」というお言葉を残されています。この時の様子を描いたのが各寺院に伝わる涅槃図です
この涅槃図を基本に和尚様の永年の構想をこの世に具現すべく、高祖道元禅師七百五十回大恩忌記念事業として計画されました。
制作にあたり各地の涅槃佛を見学,関係書籍を研究し、下絵だけでも数十枚書き直したり、原寸図を起こしたり、お寺の涅槃佛として末永い信仰の対象になられるよう、耐久性のある素材をもちいて芸術性にも溢れた格調ある涅槃佛をめざしました。この涅槃佛が善男善女より絶え間ないご供養を受けられる時、この世は佛典に説かれるところのお浄土となることは必定と確信いたしております。              
 総称 「大森院涅槃廟」
   敷地面積 220u 涅槃廟「台座」面積 92.2u        
   躯体 鉄筋コンクリート、半地下式のため周囲に防水用の開渠設置、   外壁 御影石瘤だし仕上げ、一部磨き仕上げ
   青銅製寝釈迦像 全長 6,600mm  高さ1,800mm 総重量 約7トン
   後方彫刻壁   全長 12,000mm 高さ2,500mm 総重量約150トン
   廟内       胎内佛(原型寝釈迦像)
 和尚様の構想は半地下式空間に胎内佛を安置、屋上には6.6m,重量7トンの寝釈迦像、後方に彫刻壁、涅槃図をベースに涅槃廟を制作する。建立予定地は地下水位が高く夏場でも300mmも掘れば地下水が湧き出してきます、まず現地盤より1500mm掘り下げた場合の地下水浸透は絶対に避けなければと本体外周に地下水対策用の開渠を設け地下水対策を万全のものとし、躯体は鉄筋コンクリート、外壁は御影石の瘤だし仕上げとして半地下に多目的空間を可能とする。後方彫刻壁は各像35体半身浮かし彫り、悲しみのお顔を表現する為に彫刻に一番適した石材として世界的に有名な中国浙江省泰順県古田村産出「古田青」の大材を特別に採取依頼し縦方向の継ぎ目を少なくして、下絵の段階より顔に継ぎ目のないよう構成されています。この作品のために中国の弊社アモイ支社の金所長、台風のなか浙江省泰順県の山元まで大石材採掘交渉,運搬打ち合わせ、佛画専門の佛絵師、専門彫刻師、採取山元業者並びに大勢の専門家の善意に満ちた熱いご協力がありまして完成されたものです。
                         
      平成14年11月4日 記
企画設計施工  富士墓石本舗 富士特殊基礎(株)
        高崎市筑縄町52−10番地
      総製作責任者  橋泰正師
 
 


むかい目の薬師様 現実的には石の薬師さまには病気なんて治せないだろうと思うでしょう。でも人の心を癒し、その癒された心が自然治癒力や前向きの心を引き出すと思いませんか?
薬師さまを安置して安らぎと癒しの空間にいってみたいと思いませんか?
 
 


仲良しおじぞうさま 「あんちゃんとおとうと」
自然石の上に設置されたかわいらしい兄弟地蔵
  ほほえましいね
@ 全透院  A天宗寺  B林徳寺
 
 


満勝寺 袴腰鉄筋コンクリート造みかげ石(瘤だし)張り
(内部部屋あり) 鐘楼堂屋根は入母屋つくり、銅板本瓦型葺き
見えかかり部分は全て欅づくり
袴腰高さ2.7m 総床面積46.4u 柱間3.1m*3.6m
吊るされた鐘の真下には砂池が設けられています。 
鐘楼(しょうろう、しゅろう)とは、寺院内にあって梵鐘を吊し、時を告げる施設。鐘つき堂、鐘楼堂とも言う。
「鐘楼」の語は、キリスト教の建物(教会堂、礼拝堂)において同様の機能を果たす施設を指しても用いられる。
日本では室町時代になると、山門と一体化し、鐘門となった事例もある.
また、その時を告げるという性格上、政庁など、宗教施設以外にも設置されている。

南都六宗の場合、講堂の斜め前方か斜め後方に位置する。経蔵と東西に向き合うような形で建てられる。
鐘をつくことは供養であるとされ、中宮寺の天寿国曼荼羅に入母屋造の鐘楼がある。その中には鐘が吊るされ、人が撞木でそれを撞くところが描かれている。古い例に法隆寺西院のものがある。切妻造、腰には組こうらんがめぐらされている。のちに、法隆寺東院、新薬師寺、石山寺のような袴腰造、東大寺のもののようなふきはなちのものも現れた。



 
 
 


大森院仁王門袖壁に石彫刻
高崎市 はなみずき通りを直進、北部環状線をこえて少しいけば左側に立派な仁王門が見えます。仁王門正面両袖に昇り龍、降り龍、裏面には等身大の四天王石像、機会があればお参り下さい
@ 昇り龍 A降り龍 3持国天 C増長天 5広目天 E多聞天
龍彫刻は1500mm*2000mm*210mm 佛像は1000mm*2000mm*210mm
の石材に半身浮かし彫刻されております。
 
 


創作 地蔵水屋RC造 弊社設計施工
水屋奥にお地蔵様が設置され、そのお地蔵様の足元より清水がチョロチョロ流れ出ています。
 
 


閻魔大王石像  等身大
大森院鐘楼堂下室 
四方には地獄絵天井には極楽絵
 
 


憤怒のお顔のお不動さま
 
 


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